※トップ画像は白猫プロジェクト、ヴィルフリートの思い出より

皆様こんばんは。

今日は「笑い」について少し考えていきたと思います。

そもそも何故このテーマを選んだのか?

それは「笑い」こそ人間にのみ許された至上の娯楽であり、故に人間を人間たらしめるものだと僕は考えているからです。

思い返してみて下さい、犬が笑いますか?猫が笑いますか?鳥が笑いますか?魚が笑いますか?

少なくとも僕はそんな現場を見たことがありません。笑っている動物がいたら即刻研究機関に運んでお金をもらいます。

この「笑い」、日本で最も古い物は『古事記』に記されている有名なエピソード「天の岩屋戸」らしいです。

※「天の岩屋戸」:日本の最高神天照大神(アマテラスオオミカミ)が、弟である素戔嗚尊(スサノオノミコト)の蛮行に呆れて岩の洞窟である天岩戸に閉じこもった話です。天照大神は太陽を祀る神であり、彼女が洞窟に引きこもったせいで世界に闇が訪れました。それではいけないと多くの神々が岩戸の前で会議をするもののなかなか良い案が浮かびません。そんな中天宇受賣命(アメノウズメ)が多くの神々の前で突然脱ぎ、恥部をさらけ出して踊り狂ったものですから、周りの神々は大笑い。世界は闇が支配しているはずなのにどうして笑い声がするのだろうと気になった天照大神が洞窟の岩戸を開けたところを、手を取り外に引き出したことで世界に光が戻ったというエピソードです。

『古事記』は712年に編纂された日本最古の書物ですから、必然的にこれが日本の笑いの祖とも言えますね。それにしても昔の日本人も今と変わらずHENTAIだったわけです。

また、後々ドイツの哲学者カントは

「およそ激しい、身体をゆすぶるような哄笑をひきおこすものには、何か理屈に合わないものが含まれているに違いない。笑いは、緊張した期待が突然無に転化することから生じる情緒である」

エキサイトニュース様より引用

と述べております。

 

これは上記の天の岩屋戸のエピソードにも当てはまりますね。ヤバい、どうしよう……。という緊張状態の中で、突然普段見ない物を目の当たりにすることで爆笑が起きるというまさにカントの言葉との共通項を見いだすことが出来ます。

しかしながら一方でこの「笑い」というのは現代になって急速にその幅を広げていったという考え方も出来ます。

例えば大河ドラマや、歴史物のドラマを思い返してみて下さい。

戦国時代、よく酒盛りの席なんかでおっさんが皆の前で踊りを踊っている光景を見たことがある方も多いでしょう。

でもあれって正直全然面白くないですよね。

そうなんですよ。今の価値観で考えるとあれは面白くないのです。しかしながらそれで昔の人は笑っていたと言うことは、笑いの本質が変わったと言うより、笑いの本質はそのままに笑いの幅が広がったとのでは、と僕は考えます。

ただもともと笑いというものが体系化していなかった時代に、観阿弥・世阿弥親子が「能」を足利義満の前で披露したことでエンターテイメントとして市民権を得ていったわけですからね。彼らの功績は偉大だと思います。この「能」がエンターテイメントとしての今の芸「能」の起源となったのは言うまでもありません。

 

さて今日わかったことは笑いの本質は「緊張と緩和」ということでした。また今後も「笑い」については考察していきたいと思いますので、是非お楽しみに。

え?笑いの記事のくせに全然面白くないって?

 

 

 

 

 

おティンティンピローン(白目)

 

はい、それでは今日はこの辺で。